執着を知る!ルネサンスの大詩人ペトラルカ『わが秘密』の魅力
『わかっちゃいるけど、やめられない』。何度も同じ過ちを過ちと知りつつ犯してしまう。いや、そもそも過ちを繰り返していることにすら、気づいていないのかもしれない。そんないかにも自暴自棄になりそうな私が「がんばれないナマケモノ道」を貫く中であるとき、「神の啓示」のように出会った一冊の本、ルネサンスのイタリアの大詩人、ペトラルカの『わが秘密』を紹介します。
人妻への間違った愛のために大詩人となってしまったペトラルカ
ルネサンス初期のイタリアの代表的詩人フランチェスコ・ペトラルカ(1304-1374)。彼の『わが秘密』は、後世に絶大な影響を与えた大詩人自身の「秘密」を暴露した作品です。
筋書きとしては身も蓋もないほどシンプルで、聖職者でありながら人妻のラウラに「女神」を見出して苦悩するジレンマをなんとか克服しようとする話です。生身の人妻が「神」であるはずがないので、ペトラルカも「間違い」と頭の上ではわかっているんですが、やめられません。要は「わかっちゃいるけど、やめられない」という話なんですが、ペトラルカのラウラへの愛は度が過ぎていて、「桂冠詩人」の称号の熱望という名誉欲と深く結びついて行きます。桂冠とは、オリンピックの勝者がかぶるアレです。古代ギリシア・ローマでもっとも優れた詩人に贈られたという月桂冠を、ペトラルカ自身の戴冠をもってその伝統を復活させました。実は、ラウラという名前は、ローレル、つまり桂のことです。『ラウラという女性を愛したから、詩人として桂冠を戴冠したい。』その願望だけで、本当に1000年ぶりに伝統を復活させてしまったという何ともクレージーなお話です。
実はラウラは同時代的資料がなく、ペトラルカの賛美だけしか証拠がないので実在が疑われているんですが、ラウラが存在しなければペトラルカが後世に名を遺す大詩人とならなかったことは間違いありません。実際、彼女を讃えて書かれた代表作『カンツォニエーレ』の形式や文体は後世に絶大な影響を与えています。特にイギリスの詩文学への影響が顕著で「ペトラルカ主義」という流派まで登場しました。
リスト: 巡礼の年 第2年「イタリア」 ,S.161/R.10,A55 4. 「ペトラルカのソネット 第47番」 pf.ミハイル・カンディンスキー:MikhailKandinsky – YouTube
『わが秘密』は「わかっちゃいるけどやめられない」を極限まで言語化した人類史上の大傑作
ペトラルカの作品の中でも『わが秘密』が特別なのは、この作品では私小説よりも特異な設定で「秘密の暴露」が行われていることです。私はこの作品を友人の勧めで読んだのですが、その友人はこの作品に完全に魅了された結果、某大学院でペトラルカを研究した挙句、現在はタイで月桂冠を被ってユーチューバーをやっています。人生を狂わされてしまったとしか思えませんが、実に楽しそうに生きているのだから不思議です。
話が逸れましたが、『わが秘密』はペトラルカ自身が主人公となり、「真理の女神」の臨在のもと、彼が敬愛した哲学者アウグスティヌスの幻影との対話を描いています。そのテーマは、「死」「魂の病気」「愛と名誉欲」といったペトラルカ自身の内面的な問題についてです。
「真理の女神」は、古代ギリシャの哲学者パルメニデスの哲学詩で登場した哲学史上の存在と思われます。一方、「人妻ラウラ」は、ペトラルカが生涯を賭けて愛し、彼にとってインスピレーションの源泉であり続けました。『わが秘密』の対話篇では、「真理の女神」と「人妻ラウラ」とを事実上同一視していることが、ペトラルカ自身の「病の根源」であることが明らかにされます。
小説ではなく、対話篇でなければならなかった理由とは、ペトラルカ自身が最も尊敬するアウグスティヌスによって「女神」の前で詰められる、という極めて自虐的な真実を、直接交わされた「対話」として生々しく書き留めるためでしょう。私が特に好きな一節を紹介します。
「この問題では、きみ自身の同意も必要なのだが、きみは同意できないのではないか、あるいはむしろ同意することを欲しないのではないかと心配だ。鎖のはなつ燦然たるかがやきに魅了されて目がくらみ、同意が妨げられはしないかと、たいへんおそれる。そしてまた、だれか貪欲漢が黄金の鎖につながれて牢獄にとじこめられた場合に起こりそうなことが、おそらく現実となりはしないかともおそれる。つまり、解放されたいが鎖は失いたくないというわけだ。しかしきみは、まさに牢獄の掟を課せられている――鎖を投げすてないかぎり解放されることはできないのだ。」
出典: わが秘密 (岩波文庫 赤 712-2) | ペトラルカ, 近藤 恒一 | 本 | 通販 | Amazon P.158~159
「黄金の鎖でつながれた囚人」という比喩が何とも秀逸ですよね。実はこの囚人、黄金の鎖でつながれているのではなく、自分で握っているのです。つまり、手を離せば解放されるのに、黄金に目がくらんで自ら握っていて離さない。しかも、この黄金はどれほど強く握りしめたところで結局は自分自身のものになるはずもないわけです。ここに独特のペーソスが漂っています。
『わが秘密』では、死についても論じられています。誰もが死ぬし、その死はいつやってきても不思議はないのは周知の事実なのに、誰も自分自身だけは特別扱いして死をまともに考えていない、という自己欺瞞についても厳しく吟味されています。
「してみると、自己自身によるあざむきはいっそう恐れなければならないはずだ。この場合には、だれでも自分を不当に買いかぶり不相応に愛しているところから、愛や信頼の念が桁はずれに大きく、しかも、あざむく者とあざむかれる者とがまったく区別できない。」
出典:ペトラルカ『わが秘密』近藤恒一訳(岩波文庫)P.35
『わが秘密』では、ペトラルカの個人的な苦悩がこうした「人類共通の業」と結び付けられており、秀逸な比喩や格言もオンパレードなので、ついにやにやして読んでしまいます。
「わかっちゃいるけどやめられない」そんな自分とどう向き合う?
このように『わが秘密』は、極めて自虐的な設定の作品です。自分自身が最も敬愛する教父アウグスティヌスによって、真理の女神の前で、人妻ラウラと女神を同一視していることがペトラルカ自身の「病の根源」だということを、ひたすら批判されます。文体も迫力があり、次々繰り出される比喩や格言も心惹かれます。
私は『わが秘密』を読んで、『わかっちゃいるけど、やめられない』場合、自分自身がたまたま持っている常識によって自己や他者を評価することが、どれほど無益か、といった割と常識的な教訓を学びました。ペトラルカのような破滅的な美の世界から、そんなちっぽけな常識的な学びを得たのは意外でしたが、ペトラルカが徹底的に『わかっちゃいるけど、やめられない』を言語化し、突き詰めたことによって、逆に『そんなに簡単に、自分や他人のことがわかるはずがない』、という人間の奥深さを体感できました。私の中では「一大革命」です。そんな空々しい感想でいいのか、と自分で思わなくもないですが、このくらいでバランスを取らないと危険です。
ペトラルカの『わが秘密』、読んでみませんか?