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立ちはだかる壁を乗り越え続けるエンジニアの映画『ドリーム』

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今年もカンヌ国際映画祭のシーズンがやって来ました。5月16日に開幕する第76回の映画祭では、カンヌ・プレミア部門で、北野武監督の6年ぶりの新作『首』が上映されることが発表されたり、3月末に亡くなった坂本龍一氏が音楽を手がけた、是枝裕和監督の映画『怪物』が出品されるなど、いろいろと話題になっています。

今回の記事では、2017年のアカデミー賞で作品賞を含む3部門にノミネートされた、エンジニアが活躍する映画『ドリーム』を紹介します。国家の威信を賭けた挑戦というだけでなく、人種や性差別、社会通念、働きながらの子育て…など、これでもかという程の超無理ゲー設定!映画用に一部演出・脚色されているとはいえ、事実がベースになっていることに驚かされます。エンジニアに限らず、仕事と自分の価値について悶々とする全ての人たちのための作品です。

『ドリーム』(Hidden Figures – 2016)
監督:セオドア・メルフィ/主演:タラジ・P・ヘンソン

事実をベースにした、黒人女性エンジニアたちの挑戦の物語

この映画は、1960年代のアメリカで、NASA(アメリカ航空宇宙局)のコンピューター部門に勤める、3人のアフリカ系アメリカ人女性エンジニアたちの物語です。

主人公として描かれるキャサリン・ジョンソンは天才数学者で、軌道計算や再突入計算などを担当しました。ジョンソン氏は、ウェストバージニア州の小さな町で生まれた、恵まれた数学の才能を持つ少女でした。当時は、平均的なアフリカ系アメリカ人の教育が高校前に終わる時代。白人の学校から分離された学校に入学した彼女は、14歳で高校を卒業し、18歳で大学を主席で卒業するなど、優秀な成績を収めました。教師として務め、専業主婦の期間を経て、NASAの前身の全米航空諮問委員会(NACA)で働き始めるという、キャリアへの挑戦も驚きです。

ドロシー・ボーンは、計算部門のリーダーとして当時最先端のIBMのコンピューターを使いこなし、メアリー・ジャクソンは航空工学の分野で活躍しました。彼女たち3人は、数々の偏見や差別、抑圧に立ち向かい、他の女性たちも巻き込みながら、自分たちのエンジニアとしての夢を叶えていきます。

黒板にチョークで手書きの時代、計算係としての「コンピューター」

1950年代末から1960年代に掛けて、アメリカはソ連との熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていました。1961年、ソ連はユーリイ・ガガーリン少佐が乗ったボストーク1号で、人類初の有人地球飛行を成功させ、アメリカは後れを取っていました。そんな中で彼女たちが参加したのが、アメリカ初の有人宇宙飛行プロジェクト「マーキュリー計画」でした(コレは重要なので最後に伏線回収します)。

当時、機械式の計算機やタイプライターはあったものの、紙に鉛筆で手書きが当たり前の時代。チームのメンバーで共同作業する時は、巨大な黒板の周りにチョークを手に集まり、時に梯子まで使って計算していました。この頃、「コンピューター」とは計算機のことではなく、計算を専門とするプロフェッショナル、つまり人の呼称でした。マーキュリー計画の宇宙飛行士ジョン・グレン氏は、頭脳明晰なジョンソン氏に全幅の信頼を寄せ、IBMの計算機が出した結果をすべて、ジョンソン氏に確認させることを要求するほどでした。

1962年2月20日、絶対に失敗が許されないミッションである、「フレンドシップ7」によるアメリカ初の有人地球周回飛行は成功します。そして、彼女たちの優れた技術力は、後にアポロ計画でも活かされていくことになります(アポロ11号の宇宙飛行士ニール・アームストロングの息子であるマーク・アームストロングが、映画にカメオ出演)。

映画のシーンでグレン氏と地上で直接交信しているのは、コントロールセンターの管制官ではなく、同じマーキュリー計画の宇宙飛行士だという点も要注目です(究極のリモートワーク!)。同じプロジェクトに参加し、同じ言葉を使って話し、同じような訓練を受けてきた人材が、重要なコミュニケーションのパートナーとして果たす役割の必然性を示しています。実際にこの手法は、その後NASAが実施する有人ミッションの標準的な方法になりました。

ちなみに、グレン氏は1998年、日本人女性宇宙飛行士である向井千秋さんらと共にスペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗し、77歳の最高齢宇宙飛行士となりました。

差別や偏見、前代未聞という、いくつも立ちはだかる壁

歴史的なミッションに取り組むと同時に、彼女たちはさまざまな職場差別を受けます。仕事に必要な学位を得ようとしても、進学が許されない教育システム。どんなに忙しくても、天気が荒れていても、わざわざ離れた場所にある別の建物のトイレへ行かなければならない不条理。必ずしも優秀であるが故にではなく、黒人女性であるが故に押しつけられる大量の仕事。しかし、白人男性によって占められている、本当に重要な意志決定の現場へは入れてもらえない、分厚い組織の壁。

同僚がジョンソン氏に、別のコーヒーポットを使うように要求する、オフィスの場面も示唆的です。時々映し出される、コーヒーブランド「Chock Full o’Nuts」はニューヨークの大企業で、初めて黒人経営者を副社長として採用しました。副社長に就任したその人物とは、かつてメジャーリーグでプレーし、引退したジャッキー・ロビンソンでした。MLB初の黒人選手として、数々の抑圧を乗り越えた先人の存在を暗示することで、彼女たちの挑戦とその先の希望を示していたのです。

途中、時代の進化によって、計算機としてのコンピューターが広く導入されていくことを見越して、新しいプログラミング言語を学び、雇用を守ろうと団結する女性たちのチームワークが描かれます。これなど、生成AIの登場でホワイトカラーの一部の職業はなくなるだろうと言われる、現代の状況に重ね合わせずにはいられません。

音楽が重要な役割を果たしているこの映画には、ファレル・ウィリアムスやハンス・ジマー、ハービー・ハンコックなど、素晴らしいアーティストが関わっています。挑戦の話でありながら、どこか軽やかで楽しさも忘れていないのは、BGMの恩恵でしょう。映画のテーマに合わせて、アフリカ系アメリカ人のミュージシャンの数が一貫して50%に保たれていたのも、現代のクオータ制(性別などを基準に一定の人々や比率を割り当てる制度)やアファーマティブアクション(積極的格差是正措置)にも通じます。

挑戦者としての、偉大な功績の物語は続いていく

残念なのは、何ともぼんやりした邦題です。原題「Hidden Figures」のfiguresが「顔、人物」と「数字」を上手く掛け、プロジェクトの成功の影には知られざる優秀な人たちがいたことが全く伝わりません。それにも増して、マーキュリー計画の映画にもかかわらず、日本の配給会社が公開当時『ドリーム 私たちのアポロ計画』というミスリードをして大きな批判を呼びました。中身を理解せず、消費者の理解力を過小評価したマーケティング部が、適当な解釈をして台無しにする例でした。

ジョンソン氏自身は後年、不平等な扱いを受けていることに抗議する暇がないほど、多忙な毎日を過ごしていたと当時を振り返っていたそうです。また、なぜ自分の人生が映画化されるのか不思議に思ったというエピソードからも、彼女の実直な人柄が伺えます。2015年11月、当時のバラク・オバマ大統領は、NASAでの彼女の功績を称えて大統領自由勲章を授与しました。また、翌年にはNASAの新棟が「キャサリン・G・ジョンソン計算研究施設」と名付けられました。2020年2月24日に101歳でその生涯を終えた今も、挑戦者としてのシンボルである彼女の偉大な功績は、NASAの公式ページで称えられています。

2020年夏、この映画を元にしたミュージカルが数年前から計画され、ディズニーで制作中であることが判明しました。夢に挑戦し続けたエンジニアたちのスピリットは、新しい形で受け継がれていきます。

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リプリパ編集兼外部ライター
企画制作や広告クリエイティブ畑をずっと彷徨ってきました。狙って作るという点ではライティングもデザインの一つだし、オンラインはリアルの別レイヤーで、効率化は愛すべき無駄を作り出すため。各種ジェネレーティブAIと戯れる日々です。
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